ストーリー
西陣織発祥の地として知られる織物の街、京都・西陣。
地図にも載らない入り組んだ「路地」(地元ではろうじと呼びます)に職住一体の長屋や町家が軒を連ね、いたるところから「ガッシャンガッシャン」と機織りの音が響いていました。
昭和初期には「西陣京極」と呼ばれる繁華街が、千本通の中立売~今出川を中心に発展。
いわゆる花街ではなく、庶民や職人の興行街として寄席や芝居小屋が立ち並び、文化・娯楽を提供していました。
また、かつては牧野省三を主とする「千本座」をはじめ多くの映画館が立地し、日本映画発祥の地としても知られています。
その西陣界隈の南の端に「PATHTO」と「ヒトクチヤ」はあります。
PATHTOは、元は小さな紡績工場として、そして平成のはじめまで学生アパートとして使われていた建物をリノベーションしたシェアハウス。ヒトクチヤは元米穀店兼パン屋の跡地を改装した喫茶店です。
いずれも、時代とともにその役割を変えてきました。
同時に、そこには変わらないものもあります。
頑張る若者を支える住まい。ご近所さんが集う憩いの場。そして、それぞれにとっての心地よい距離感。
京都では、この地域社会における普遍的な関係が脈々と受け継がれています。時代の変化によって建物の使い方は変わりつつも、大切にしてきた関係性は変わらない。
本当の意味での京都らしさが残る西陣の街で、この人と人との関係性を再編集する。それがわたしたちの目指す姿です。
1940年当時の米穀店。屋号は「二口屋(ふたくちや)」
1952年当時の米屋&パン屋。今は喫茶ヒトクチヤのファサードです
1960年当時のパン屋。左側の戸板がPATHTOのエントランスです
まだアスファルト舗装がされていなかった1964年当時の浄福寺通
フリーライターの夫がシェアハウス管理人で、アクセサリーデザイナーの妻が喫茶店主。二人とも京都生まれの京都育ち。「ハイカラで新しもん好き」な先人たちの気質を受け継ぎ、オリジナリティにあふれた共有空間をつくっていきたいと思っています。